31.7.13

オランダ王室の元をたどればディースト!

オランダ国境・リンブルク州でのミニバカンスの帰り道、ブラームス・ブラバント州にある、ディースト(Diest)という町にも立ち寄った。

ディーストいう町は、僕がリールからルーク(Luik・・・フランス語ではリエージュ)やトンゲレン(Tongeren)へ行くときの途中、通過する町(駅)で 「いつかは街歩きをしてみたい町」だった。

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マルクト広場にある市庁舎。

ディーストという町を語るとき、歴史を遡らなければその価値がわからない ・・・ 何しろオランダの王室は、この町から誕生したのだから ・・・ と書けば「え?」と思ってしまうが、それが歴史なんだね。

その昔、15世紀の頃、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク(3国をベネルクスというが)地方は神聖ローマ帝国に組み入れられ、スペインのハブスブルク家の領土であった ・・・ 重税が課せられ、宗教の違いもあり、1568年、ついにスペインとの「オランダ独立戦争」が勃発し、オランダ側の指揮をとったのが、この町ディーストを領土とし、居城を構えるオラニエ=ナッサウ家のウィレムⅠ世であった。

ウィレムは「オラニエ公ウィレム」として、その名を馳せる ・・・ 長い戦いの後、1579年、ベネルクスのベルギー、ルクセンブルクを除いて独立を勝ち取り、ネーデルラント連合王国(現在のオランダ)が誕生した ・・・ 新しい国の国王にはオラニエ=ナッサウ家の当主が就いたという ・・・ それ以来、オランダといえばオレンジ色(オランダ語でオラニエという)がナショナルカラーである。

オランダ誕生の歴史がこの町から動いたのである ・・・ 今でもこの町に、オラニエ=ナッサウ家の居城が残されている ・・・ が、今回訪れることはできなかった。

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町の中心にある教会(St. Sulpitiuskerk)前面、鐘楼の部分が白で、後方は茶色の鉄質砂岩で建てられている ・・・ オラニエ公ウィレムⅠ世の息子、フィリップの墓はここにあるという。

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マルクト広場は市庁舎と教会、その他の面はカフェやレストランが軒を連ねている。

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教会の脇のカフェでビールを飲んでひと休み! ・・・ 初めて見るビール!

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これも初めて見たクリークビール!

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Momoちゃんもちょっと味見!

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可愛い娘に可愛がられるMomo。

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ショッピングストリート。

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繊維会館。059-DSC02690

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教会の裏手から見た姿。

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教会の入口から見たマルクト広場。

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教会(St. Sulpitiuskerk)内部。

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と、いったところで、歴史を動かした町ディーストともお別れ(1時間の滞在) ・・・ 次は「ベルギー最大の巡礼地」で足を止めます。

写真アルバム 「Diest , 24 Jul 2013

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