27.4.17

沖縄からの報告!

沖縄逆移住生活の始まり。

新たなブログを立ち上げようと思ったが「そんな暇はない!」

1ヵ月が経過しましたよ(笑)

やっと

やっと


沖縄からの報告が出来ます。

沖縄逆移住生活」というブログをはじめました。

徐々にしかブログの「カタチ」も整えられないと思うので、今は、サッと目を通す程度にしていてください ・・・ 少しずつ変えていきます。

「まさゆき」「おおしろ」「ゆき」「マスター」「くちょう(区長)さん」「馬天の鍛冶屋の三男」「ベルギーに行っていた人」 ・・・

と、様々な呼ばれ方をする「僕」です。

コンタクトは、ブログへのコメント、E-Mail 、Facebook へのメッセージなどで可能なので、お気軽にどうぞ!



1.4.17

最後のメッヘレン訪問

ベルギー移住生活8年半、何度も通ったメッヘレンの町に、おそらく最後の訪問をしてきた。(今後はたまに観光で訪れるかもしれないが)

もう日本(沖縄)に帰ってきています。

この記事はベルギーの残り時間、沖縄に着いてもバタバタして、書き終える事が出来ませんでした(笑)

移住生活の中で、嫁のKatrienが法定翻訳家として事業を始めたので、僕はそのスタッフとして働くこともあり、翻訳書類を「法定翻訳」とするためにメッヘレンの第一裁判所に出向いて、法定翻訳者の翻訳であるという認定のスタンプをもらいに行く事も多かった。

その第一裁判所というのが、昔は「マルガレータの宮殿」という、観光ガイドブックにも載る有名な場所だった。

観光ガイドブックに載ってはいるが、観光客は建物の内部には入れず、中庭と16世紀ゴシック建築の外観を見るだけに限られるが、僕は内部の裁判所に用事があるので、出入りする事が出来たのはラッキーだったね。

でも、内部はいたって質素で、見るべきものはない(笑)

そりゃ、裁判所だからねぇ~

とは言っても、僕にとって、は16世紀ネーデルランド17州を治めていたマルガレータ妃の宮殿、そして甥の「神聖ローマ皇帝カール5世」が幼少期を過ごした場所として、興味の尽きない場所なのです。


中庭が美しい!

中心の広場「Grote markt)

メッヘレンのアイドル「不実な夫(Opsinjoorke)」
市庁舎の前にある。

 幼少時代をメッヘレンで過ごした神聖ローマ帝国皇帝カール5世

14世紀の市庁舎(右)と聖ロンバウツ大聖堂の鐘楼。

16世紀、ネーデルラント(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)国の首都だったメッヘレン、そしてその頃、統治して繁栄に導いたマルガレータ妃。

可愛らしい姿の13世紀の市庁舎

ダイル川の河畔にあるべートーベン少年と、祖父の象。

路地を歩いていると、カリヨンの音が聴こえ、なんとなく聞き覚えのある曲だなあ ・・・ と、思いながら歩いていたら ・・・ 「か~す~み~か~く~も~か~・・・」 と、つい口ずさんでいた(笑)

そう、日本の童謡「さくらさくら」のメロディーがカリヨンの演奏で流れていたのである。

僕の日本帰国への餞の音か。

道中にあった壁画。

メルヘン世界のようなメッヘレンの市庁舎。

家畜市場(Veemarkt)のバス停に戻ってきた。

連結バス ・・・ ベルギーにはよくあるタイプ。

バス停で待っていると、1台のBMWが通りかかって、運転手の顔を見ると、いかにもイスラム系の風貌の男だった(助手席の男も) ・・・ ゆっくり走っていたBMWだったが、僕の立っている前で突然ハンドルを切りUターンして去って行った。

ビックリするじゃないか!

数日前にロンドンで、観光客の多い歩道に車で乗り上げて暴走し、歩行者をはねて3名が死亡したテロ事件があり、前日にはアントワープのホコ天で暴走した車の事件で、世間は騒然としている時期なのに、多くの人がバスを待っている前でよくそんなことが出来るな。

と思っていたら、5分後くらいには同じ車が戻ってきて、今度は超過スピードでバス停を通り抜け、その先にある一時停止交差点でも止まりもせず、ブワーッと飛ばして去って行った ・・・ あきれた ・・・ その時は、近くの学校の生徒たちが下校時間になっていて、バス停周辺にあふれていたのだから、万が一「暴走テロ」だったら数十人が犠牲になっていたであろうと想像してしまった。

そんなことを想像してしまわざるを得ないベルギー(欧州)も、住みにくい国になってしまったものだ。

本当に自分が危険な目に合う事はないのかも知れないが、普段の生活の中で、そういう事を想定しながら生きて行かなければならないというのは、欧州生活者の負担になってくるだろう。

複雑なイスラム過激派問題、移民・難民問題を抱える欧州はこの先どうなっていくのだろう。

僕はひとまず日本に帰ります。

また、時々ベルギーに戻ります。

このブログ「ベルギー移住生活」は、更新頻度は落ちると思いますが、思い出したことを書きたい時に、備忘録的に更新するかもしれません。

これまでのベルギー生活の記録は「You tube」「Facebook ベルギー街歩き~ぶらり」で、膨大な量で残してありますので、余ほど暇じゃないとすべては見られないと思います(笑)

「沖縄逆移住生活」のブログも記録していこうかな、とも考えています。

このブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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22.3.17

送別会を開かれてしまった

前回の記事で書いた「なるほど!ザ・おきなわ」の講話が終わった後、みんなしてレストランへ移動して「送別会」なるものが開催された。

「日本帰国」 と、いうと大げさな反響があるんだよねぇ。 僕は、「嫁はベルギー人なので、度々ベルギーに来るんだから、そんなことはしなくていいよ」と言っておいたのだけど、やられてしまった(笑)

アントワープで一緒に活動していた「日本語を話そう会」のメンバーだが ・・・ 僕はいつからその会に参加しだしたのか記憶が定かではない(笑)、6-7年前かな?

まぁ、長い付き合いだよね、その間にはメンバーの入れ替わりもあるし、いつの間にか僕も古参になってしまっていた(笑) 日本人は駐在員もいるので、短期で入れ替わるからね。

世話役のAさんが、その場所について僕に聞くので、地下のレストラン「ペルフロム(Pelgrom)」を提案した。

旧市街の中心部にあり、レンガに囲まれた地下室で、中世の面影をそのまま残しているような雰囲気で、照明がほとんどロウソクという薄明りでも本物らしさが味わえる。


 みんな思い思いにビールやその他のドリンクを飲んで、おしゃべりする。

地下室とは言っても結構広い!

僕らのグループは25名くらい ・・・ 僕とKatrienの他に、日本人駐在員夫妻も同時期に帰国するので、合同送別会となっていた。

僕が注文した料理は「ストーフブレース」(牛肉のシチュー) ・・・ おろしリンゴが付いていた ・・・ このレストランの料理は、中世風を意識して提供されるらしい。

もちろんフリッツも付いている!

世話役のAさんが企画して、「思い出の写真アルバム(ブック)」も制作されて、プレゼントされた ・・・ それに、みんなからのメッセージが添えられて ・・・ ん~~、泣けるねぇ ・・・

アルバムをパラパラとめくると蘇る ・・・ 若いころの僕 ・・・ じゃない、すでに若くない!

真面目な「日本語を話そう会(日本語を学習する人のための勉強会)」以外の懇親会の写真が多いのだけど(笑) 、それはもちろん、勉強会の時はやたら写真を撮ったりしないからね。

「沖縄料理教室」も2回開いたしね~、カフェでの飲み会や、ビール祭りにみんなで出かけたり、クリスマスマーケットに繰り出したり ・・・ そんな、楽しい思い出がた~くさん!

おいおい、殆どビールグラスを手にしているじゃないか!

はい、これはレストランに入る前の集合写真 ・・・ まだ半分しか集合していない(笑)

みんなありがとう! (ノД`)・゜・。

沖縄にも遊びに来てね ・・・

すっかり「送別」ムードになってますが ・・・

予定では3ヵ月後には、ベルギーに戻ってくる ・・・ ま、いろいろ予定や計画もありまして ・・・ 冒頭に書いたように「嫁はベルギー人」なので、ベルギーを完全に切り捨てて、本帰国という訳にはいかないのであります。


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19.3.17

なるほど! ザ・おきなわ という話

「なるほど! ザ・おきなわ」

お察しの通り、TV番組「なるほど! ザ・ワールド」をパクって、知られざる沖縄を紹介する番組です ・・・ いや、番組じゃない ・・・ リラックスしたクラスでの講話です。

Facebook では「秘密のグループ」としているが、ここでは隠す必要もあるまい。
アントワープで活動するグループ 「日本語を話そう会」の中で、今回は僕が講話を受け持つことになったので、「沖縄」をテーマに、分かりやすく、少し奥行きもある内容でプログラムしてみた。

こんな感じでね、会場はいつも使わせてもらっているアントワープで一番古いカフェ「Quinten Matsijs」の3階 VIP ルーム。

プロジェクター画面はないので、ノートPCの液晶画面で我慢してね!

 沖縄と言えば、きれいな海のイメージが強いですね ・・・ 確かにきれいです! この砂浜は沖縄本島、今帰仁村にある「村民の浜」 ・・・ 名前がストレートだねぇ、飾らない(笑)

ま、海の話はさておいて、今回は沖縄の地理と歴史を勉強してみたいと思います。

沖縄県は日本本土と台湾の間にある小さな島々からなっている県ですが、この円で囲まれた地域は16世紀の頃は何と呼ばれていたのでしょうか?

クイズです(笑)

 はい、琉球(Ryukyu)です。

ここには、1429年から1879年までの450年間、「琉球王国」と呼ばれる国が存在していました。
途中の1609年に薩摩藩に侵攻され、琉球王国は薩摩藩の付庸国となりますが、王国としての形は残されます。

1879年、明治政府の廃藩置県により沖縄県となる。(138年前)
ちなみに、ベルギーがオランダからの独立宣言をしたのは1830年ですね。(187年前)

日本国沖縄県になったのはいいのですが、第二次世界大戦末期の1945年、米国相手の沖縄戦が始まり、沖縄本島は米軍艦船に取り囲まれ、艦砲射撃を浴びせられ町や村、山まで破壊されてしまいます。 その後、日本で唯一の地上戦が始まり、日本軍はなすすべもなく敗走し、終戦を迎えます。

沖縄県民、日本軍、米軍、合わせて24万人もの戦死者が出たといわれています(諸説あるので確定できない)。

戦後は1945年から1972年まで、沖縄は米国統治下に入り、琉球政府が設置され、県知事ではなく政府主席がいました。 そして、沖縄住民が日本本土へ渡るためには、パスポートが必要になったのです。

道路は自動車が右側通行の左ハンドル車、通貨は円ではなく米ドル ・・・ 僕も中学2年の時まで米ドルを使っていました。

1972年、沖縄は米国から日本に返還され「祖国復帰」を果たします。

これがまた大変で、通貨はドルから円に変わるのはいいが、当時の交換レートは1ドル360円で、相場より優遇されていると聞いていたのですが、円が流通してくると物価の高さに驚くばかりで、「1ドルあれば那覇の町へ行って、映画を観て食事をして、帰って来られたのに、360円では那覇まで行っても何もできはしない」という嘆き節を良く聞いたのもです。

1978年7月30日、に道路の車両が左側通行に変更される。
これは7月29日22時から30日午前6時まで、車両を通行禁止にして、その8時間の間に道路標識や車線などの表示を一斉に変える作業をしたという、前代未聞の珍事だったようです。

「へ~」 「知らなかった~」 という反応多し。

ところで、沖縄(本島)を小さな島と言いましたが、日本では、本州、北海道、九州、四国に次いで5番目に「大きな」島なんです(笑)

沖縄本島の北端から南端までの長さは106.6㎞ありますが、ベルギーの海岸線は66kmです。

仮に沖縄本島を東京に持ってくると、西表島、与那国島は四国まで達します。

地図上で、仮に緯度をそのままに日本列島をヨーロッパにスライドしたら ・・・ 北海道はフランスの南部、沖縄はアフリカの西サハラという、通常は考えられない地域まで達してしまうのです。

「へ~、日本て、意外に南の方にあるんですね」

「日本を大西洋に浮かべたら住みやすい島になりそうだ」

なんてね、新鮮な発想もできる(笑)

むかし、むかし、沖縄は琉球王国であり、日本ではありませんでしたから琉球語というのがありました。

皆さんも日本語で「しりとり遊び」をしたことがあると思いますが、琉球語ではしりとり遊びが出来ません ・・・ それはなぜ?

答えは「ん」で始まる言葉が多いから。

んかじ(ムカデ) んに(むね) んじ(とげ) んむ(いも) んーす(みそ) んなじ(うなぎ) んーちゃ(つち) んまが(まご) 他多数

名詞以外にも ・・・ んーな(みんな) んかし(むかし) んけー(むかい) んでぃーん(ぬれる) ・・・ 等々

さて、沖縄で生まれた、世界的に有名なスポーツは?

空手です!

僕が沖縄にいた時、近くに空手道場があったのですが、年に何度も外国からの門下生が研修に来ていました。

その中には、ベルギーからの一行もよく来ていて、Katrienも時々通訳としてお手伝いをしたものです。

2009年5月にベルギーのネールペルト(Neerpelt)で、「剛柔流空手ヨーロッパ合宿」が開かれ、沖縄から師範6名がベルギーに来たのですが、その中に僕の知り合い2名が含まれていたので、その合宿に取材として同行させてもらいました。

ベルギーの空手門下生は、とても熱心で、礼儀正しく、空手道の精神までよく伝えられているようです。

その他、沖縄の文化として、琉球舞踊やエイサー、旧盆行事、祖先崇拝の話、僕が帰国後に住む予定の南城市の事などを話させて戴きました。

期待していたかもしれませんが、沖縄観光の話はほとんどしないで、約50分ほどの講話とおしゃべりでした。

観光情報は「たびらい沖縄」が結構充実しているかなと思うので、そちらを紹介しておきます。(個人的に付き合いはありません、英語バージョンがないのが残念です)

僕が住む予定の南城市も、凄くいい所なので「らしいね南城市」を紹介します。(こちらの付き合いもありませんが、英語、中国語、韓国語があるようです)


という事で、〆はこちら

「いらしてくださいね沖縄」

「ありがとうございます」

「またね~」


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16.3.17

ブルージュ観光 カフェ巡り

日本帰国の前にベルギーでのやり残しのないようにと、春のブルージュへ行ってきた。
天気はまあまあの月曜日の午後。

訳あって、スタートがメッヘレン(Mechelen)駅だった。

メッヘレン駅の2番ホーム ・・・ 歴史を感じさせる武骨な鉄骨のアーチ橋の下から電車がやってくる。

反対側にも鉄骨橋 ・・・ 先週だったか、新しい橋を架ける作業が行われたとニュースでやっていた。

そう、この歴史的なメッヘレン駅もただいま新駅を建設中で、2024年か2025年にオープンするという計画である。
新しい駅のイメージは流線型の未来的なイメージになるようだ。

僕にとっては、現在のこの駅も見納めになるかも知れない。

メッヘレン駅からブルージュへ向かうと、まずゲントSP駅まで行って乗り継ぎが必要だった ・・・ その線は僕にとって初めての路線だったので、風景も楽しめた(とは言っても、殆ど田園風景の同じようなものだけどね)

ゲント到着前に、ピンクの象で有名なビール「デリリウム」のヒューグ醸造所(Brouwerij Huyghe)の脇を通過したのでびっくりした!
結構、大規模な工場だった。

 15:34、ブルージュ到着、「愛の湖公園」から市街へ入る。

「愛の湖公園」から聖母教会を望む。

普段なら白鳥公園ともいえるほど、たくさんの白鳥が水面で泳いでいたり、陸地でたむろしているのだけど、1羽も見えない ・・・ これ、鳥インフルエンザから白鳥を守るため、どこかの屋内に隔離されているのだという。

ちなみに、ブルージュ市内に約130羽の白鳥が住みついているが、そのうちの約100羽がこの「愛の湖公園」に定住していて、その分が捕獲され隔離されたという事。

ブルージュのシンボルである白鳥の姿が見られないのは、観光客にとっては残念な事だと思うが、白鳥たちの健康には代えられないね。

 ベギン会修道院の南門にあたる運河の柵に「永遠の愛を誓う南京錠」が掛けられている ・・・ 見ると他の場所にも掛けられていて、これからもっと増えるかも ・・・

恋人たちがロマンチックに(無許可で)やるんだろうけど、いずれは美観を損ねるという事で、カットされて鉄くずになるんですぜ ・・・ パリの有名な「ポンデザール(芸術橋)」のように。

さて、ベギン会修道院(Begijnhof)に入ってみると、春の風物詩、黄色い水仙が中庭一杯に咲き誇っている。

私的ブルージュ特派員、Aさんの情報により、真っ先にこの庭を訪れたのだった(笑)

この季節に訪れるのは3回目くらいかな?

紫のクロッカスも所々に見えた。
平日だったので、観光客も少なくて、撮影にはよかったネ。

風に揺れる水仙の姿も可愛いので、動画でどうぞ!

次に来たのが、ブルージュの家並みらしさの多いワル広場(Walplein) ・・・ 結構お気に入りの小さな広場だね。

そして、その広場に面してハーフマーン醸造所の門が開いている。

その門に入ってすぐ、足元に注意すると、ガラス張りのマンホールの蓋のようなのがあり、2本のパイプが通っているのが見える。

「BIER → 3276m」と、表示されている ・・・ 以前にも触れたと思うが、ここのビール醸造所のタンクから、郊外にある瓶詰工場までの3.276kmを、地下埋設のパイプラインで輸送しているのである。

パイプラインからビールは飲めないので、付属のカフェへ入る。

Brugse Zot 工場直送の樽生!

と思うでしょうが、さにあらず ・・・ 樽よりも新鮮な「工場のタンクから」と表示されていた(笑)

まいったね!

 年代物設備の王冠閉栓マシンが展示されている。

ノンフィルタリングのBrugse Zotを堪能した後は街を歩き、次なる場所へ!

あ、僕はブルージュの飲み友Aさんと一緒にカフェ巡りをしているのだった。 ある時は私的ブルージュ特派員、ある時はテニス友で、またある時はガイドとしても完璧である。(ブルージュ在住歴20年以上)

そのAさんが「ブルージュに新しく、樽生20種類を提供するカフェがオープンした」という情報もくれたので、是非そこへ行きたかった!

 ブルージュ旧市街の中心、マルクト広場を通過する。

マルクト広場から30mほど小道(Philipstockstraat)に入ったところにあるカフェ・カンブリヌス(Cambrinus) ・・・ 近くにあるレストラン・カンブリヌスの姉妹店で、ビール部門を切り離した専門店らしい。

レストランの方もビールの種類が多く、食事も美味しいという事で、いつでも超満員の人気店だからね、ビールだけの人はこちらへという事で、いいのかもしれない。

 まだ、オープンして間もないので、お客さんはまばらだったが、地元のおば様たちが買い物帰りに立ち寄っているようだった。


天井からビールグラスを吊るして照明ランプにしている。

ずらっと並んだ樽生タップ。

天井に吊るされている真鍮のタンクは何ぞや?
「冷却用の触媒を供給するタンクではないか」とか、Aさんといろいろ想像していたが、意味不明だったので、オーナーに聞いたら ・・・ 「ショーですよ!何の役目もない」だって(笑)

Duvel のスペシャルと VIVENのポータルビール。

トルバドールとショフ・ホブロン


二つとも新鮮な泡と共に、ホップの利きが良かったね。

 もう一度マルクト広場に出る。

レストラン群が夏用のテラスの準備をしている。

マルクト広場の近くの地下に「自転車用の駐輪場が出来た」 というので見学してみる ・・・ 無料らしいのだけど、ガラガラに空いている。

そうだよねぇ、気軽さが売りの自転車をわざわざ地下まで持ってきて、置いておくかねぇ ・・・ 監視カメラが付いているので、盗難防止にはいいらしいのだけど。

電動自転車の充電コンセントもあった!
これは有料だったのかな(確認しなかった)

さて、次なるカフェは、おそらくブルージュで一番本格的なビアカフェ「ブルグスベールチェ」(ブルージュの子熊ちゃん・・・熊もブルージュのシンボルである)

ひょうひょうとした感じの男性スタッフがいる。

Aさんはアントワープのボルケ ・・・ 僕はDuvel のトリプルホップ!

救世主大聖堂。

空の色が変わり始めた外へ出て、駅を目指す。

小道を歩く ・・・ Aさんが一緒だと、迷路のような小道も最短距離で駅まで歩ける。

 途中、建物の隙間からこんな風景が見えるので、僕は立ち止まったりするがAさんはスタスタ歩く(笑)

はい、無事に僕を時間までにブルージュ駅に送り届けて、僕が電車に乗り込んでからお別れする事になった。

Aさん、いつもありがとう!

途中乗り換えのゲントSP駅。

次の電車は時間通りに来たが、途中何度も立ち往生して、アントワープには30分ほど遅れて到着した。

リールの町に着いたら満月が見えた(17夜だったみたい)

動画も作ってみました。

ブルージュ観光は、ビアカフェめぐりもルートに組み込んでいくと2倍、3倍は楽しめると思うのです。


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